80年代のRPGは自発的な行動を求められる

私が人生で初めて遊んだRPGは スクウェア制作の 『KINGDOM HEARTS』でした。 当時、物語といえば映画だった私は、 自分の操作によって物語が進んでいくゲーム衝撃を受けました。

そこから、沢山のRPGやアドベンチャーゲームを遊ぶようになりました。 ゲームボーイアドバンスの『トマトアドベンチャー』 ニンテンドウ64の『マリオストーリー』にPS2の『FINAL FANTASY X』、 ちょっと古いのだと初代プレイステーションの『ポポロクロイス物語』や 『Dewprism』に『アークザラッド』、 更に古いものだとスーパーファミコンの『MOTHER2』もやりました。 SONYから出ていたPS2のRPG『ボクと魔王』はゲーム部分は色々ありましたが、 物語は抜群に面白かったです。

そこから更に遡っていき、 自分が生まれるより前のゲームにも手を出しました。 例えば、エニックスの『DRAGON QUEST 3』です。 MOTHER2 までは自力でクリア出来ていたのですが、 この辺まで来ると、子供の私にはクリア方法が分からず、 攻略サイトに頼りながらクリアしました。

昔のゲームの何が難しいって、次に何をやるのか具体的に教えてくれないのです。 KINGDOM HEARTS だったら、「○○をして!」と言われ、 それに従ってさえいれば話が進んでいきます。

KINGDOM HEARTSのスクリーンショット

 

ドラクエ3の時代のRPGは基本的にそれがありません。 フィールドの中でどこに行くか自分で決める必要がありますし、 新しい村に行ったらそこで何をすべきなのかも自分で考えます。 ドラクエの場合、極端にひどいフラグはないので、 全員に話を聞いていけば大抵分かるように作ってあるのですが、 それでも放り出されている感は否めませんでした。 世界の想像主である作者には、もうちょっと導いて欲しいと思っていました。

ドラクエ3のスクリーンショット

 

ドラクエ3のスクリーンショット

 

DRAGON QUEST III のプログラマー内藤さんが YouTubeチャンネルを開設しました。 開発者自らプログラムの中身を解説したり、 発売当時は見逃されたバグの修正を試みたり、 マニアックですが私はとても好きなチャンネルです。

内藤寛さんの動画

  その中に、開発当時のことを振り返る動画があります。 ここで、ドラクエ3で共にプログラマーとして参加していた山名学さんとの出会いのエピソードが語られるのですが

・内藤さんがアルバイト先のゲーム制作会社で「ゲームを作る高校生」としてNHKの取材を受ける ・放送を見た山名さんがNHKに「会社名を教えてくれ」と電話をする ・テレビ局が会社名を教えてくれたので、山名さんが会社に面接したいと電話 ・面接に受かり、内藤さんと山名さんが同僚になる

とんでもない行動力です。 その後に語られるドラクエまでの話もすさまじく、

・内藤さんと山名さん、発売本数が多いファミコンのゲームを作りたいが、今居る会社ではPC用しか作っていない ・内藤さんファミコンゲームを作ってる会社に片っ端から電話をかけるエニックスが話を聞いてくれることになる ・面接の結果、チュンソフトに採用される

この話を聞いて、当時のゲームの不親切さは 容量の都合によるものだけではないのでは? と思うようになりました。 こういう人達が作っていたから、 主人公も当たり前に自発的に なっていったのではないでしょうか。

ドラクエ3が発売された1988年当時、ゲーム業界はまだ出来て間もない時期でした。 ファミリーコンピューターの発売が1983年。 パックマンが1982年。スペースインベーダーも1978年。 初代Wizardryが1981年。 必死で人脈を広げていて、 販路や流通を切り拓いていった 人達が現役で関わっていた時代です。

今、親切なゲームが増えたのは 業界自体が安定して、既にレールが敷かれている 状態を表しているのかもしれません。

私は昔のゲームが苦手です。 つまり、私は業界の開拓者は向いていないということ なのかもしれないですね。

(終)