人間ドックに行ってきた (前編)
人間ドックに行きたい
「そういえば、5年くらい健康診断を受けていない」 33歳の誕生日を迎えた時、唐突にその事実に気付いた。 20代の頃は会社で受けられる健康診断も仕事を理由に受けなかったりしていたが、 30を超えると身体に不調が出てき始める頃だ。 そういえば最近、毎日赤子でも背負ってるのかという位に肩が重い。 食事も喉を通りにくくなってきた。寝ても寝ても疲れが取れない。 どうせ5年振りに受けるのならばと、人間ドックを受けることにした。 値段を調べると、近所の病院の値段は4万円だった。 30を超えると価値観が変わってくるもので、健康の烙印と引き換えに4万円なら安いと思い、予約をした。
受付
人間ドックの受付はやたら早い。 朝8時に病院へ来いと書かれていた。 前日の21時以降の食事が禁止なので、早めに終わらせてあげようという温情なのだろうが、夜型の私にとっては断食と早起きでは早起きのほうが辛い。 2時間も眠れない中、むなしく響く目覚まし時計を止め、ゾンビのように起き上がって検査へ向かった。
健康診断専門の病棟だけあって受付が沢山ある。 大半の人たちは健康診断で、私のように人間ドックを受けるのは10人に一人くらいだ 他の人は受付のカウンター前で立ったまま待たされていたが、「人間ドックです」というと椅子に座って待たされた。 「4万円払っているお客様だぞ、丁重に扱え」と言われているのかもしれない。
席の前には大きなモニターがあって、検診で何が分かるかの説明映像が流れていた。 「日本人の死因となる癌ベスト5は~」 「健康診断によって早期発見できる癌の種類は~」 と、延々と癌の話を見せられる。 人間ドックはある種、人の不安に付け込んだ商売だ。 「ほら、4万円払わないと、こんな症状を見逃してしまうぞ」 「5万円払えば、こんな症状も調べられるぞ」と 危機感をあおり、人をより高額なコースへと誘導していく。 こんな映像に惑わされてはいけない。 先ほどの受付の人が来て、検査場へ案内される中、心の中でそう誓った。
腹部エコー
最初はエコー検査だ。 若い技師さんだった。というか、エコー検査以外の担当者も、皆若い。 老いは医療従事者だろうと平等にやってくるハズだ。年を取った技師さんはどこへ行ったのか。 そんなことを考えていると、今から行う検査の説明を口頭で受ける。
「この検査では肝臓、胆嚢、膵臓、腎臓・・・を見ていきます。」 フランス料理のコース説明のようなトーンで、臓器の名前を沢山言われる。 日常、一度にたくさん臓器の名前を言われる機会はないので、 出来の悪い私の脳は途中でパンクして、大量に来る臓器名の洪水の前でフリーズしてしまった。 とりあえず「は、はい」とだけ答えて横になる。
実は昔にエコー検査は受けたことがあるので、要領は知っている。 まず、滑りをよくするジェルをお腹中に塗られて、そのあとエコーの機械を延々と当てられるのである。 その際、「息を吸ってください、はい止めて」などと言われ、 エコーを当てている間は自由に呼吸ができないのである。 呼吸の自由を奪われるのは思いのほか辛い。 しかし、5分ほど経つと慣れてくるものである。
また、技師が指示を出す。 「息を吸ってください。吐いてください。はい止めて!」 それは聞いていない。 吐いている途中で止めるのは呼吸の摂理に反するではないか。 急に水中に顔を沈められたような感覚である。 尋常じゃなく苦しい。しかも、なかなか、息を吸う許可をもらえない。 若い女だと油断していたが、中々出来るやつなのかもしれない。 その後も油断できない呼吸のやり取りが何度も続いた。
「すみません、身体を起こしてもらえますか」 10分ほどエコーをお腹全体に当てられたあと、技師が困ったように言う。 どうやら、上手くエコーに内蔵が映らなかったようだ。 そういわれ、腕を後ろに立ててお腹を前面に出す、 むかし流行ったイナバウアーのようなポーズを要求される。 なるほど、これならば潜んでいる内蔵も表に出てきそうだ。 その状態でまた息をとめて、しばらくエコーを当てられる。 しかしそれでも上手くいかなかったようで、 「すみません、ちょっとお待ちください」 と言って、出て行った。
数分待たされる。 お腹に塗りたくったジェルに風が当たり寒い。 出ていくときに「寒くないですか」と訊かれて「全然寒くないですよ」と答えたのだが、 ジェルのことを指していたのだ。 寒い冷たいと思いながら待っていると、明らかにベテランですという風格の 阿佐ヶ谷姉妹のような技師が出てきた。 どの病院も採血ができない患者さん向けの最終兵器のような看護師が居ると聞いたことがある。 もしかしたらこの人も、困った内蔵をした人向けの最終兵器なのかもしれない。
「では、おなかをぷーと膨らませてくださいねー」 と言いながら、若い技師の倍のスピードで機械のボタンを押していき、 慣れた手つきでエコーを当てていく。 擬音にはこだわりがないようで「ぷー」だったり「ぷすー」だったり「ぷいー」だったりした。 ぷいーとお腹を膨らますとは何だろう。それを考えると、面白くなってきた。 しかし、お腹を膨らませつづけるためには、絶対に笑ってはいけない。 絶対に笑ってはいけないと思うと、より笑いそうになる。 必死にこらえながら、お腹に力を入れ続ける。 そんなことをつゆも知らないベテラン技師はまた 「はい、ぷいーと膨らませて」と言っていた。
私はよほど内蔵が見えにくい体質なのか、 エコーを見ながらベテラン技師が若手に向かって色々と指導をしている 「こういう風に映らないときは、こっちの周波数に変えるの」 「はい、分かりました」 私の詰まった内蔵が役に立つのであれば本望だ。 そう思いながら会話に耳を立てていると、ベテラン技師が 「この胆嚢の所にちょっとあるでしょ?」 「本当ですね」 ”ちょっとある”とは何だ? そんな、若手も「本当ですね」となるレベルで分かりやすい何かが映っているのか。 ふいに、受付で見た数々の癌が書かれた表が脳裏によぎった。 「何かあるんですか?」と尋ねたくても、私には呼吸の自由がない。 息を吸ったり吐いたりしながら、終わるのを待った。
いったん終わり
長くなってしまったので、続きは今度。
追記: 書きました → こちら